楯越稲荷

楯越(たてぐす)稲荷は寒河江市日和田(ひわだ)地区の山腹に鎮座する稲荷
さまです。
楯越という名からも推測できるように楯越稲荷付近にはかつて楯(城)があったようですが、この楯のことが記録されている史料は見つかっ ていないそうです。
したがって本来の名称も明らかではないようで仮に日和田楯と呼んでいるそうです。
稲荷さまの裏山に登ると人がならしたと思われる平坦な所や空堀と思われるような地形があります。
『山形県中世城郭遺構調査報告書 第2集』,山形県教育委員会,平成8年3月
などに日和田楯の調査報告が載っています。
この資料よると、楯には三重の堀がめぐらされており、楯越稲荷も楯の一区画に建立されているそうです。
楯の主は日和田五郎と伝わっていま す。
日和田楯は、正月元日に谷地城主の白鳥十郎に攻撃され降伏したそうです。
日和田五郎の家老と伝わる高橋家では、 この出来事を受けて、
現在でも正月元日には餅をつかないそうです。日和田五郎の墓と伝わる五輪塔も国道付近の墓地の中に残っています。
楯越という名からも推測できるように楯越稲荷付近にはかつて楯(城)があったようですが、この楯のことが記録されている史料は見つかっ ていないそうです。
したがって本来の名称も明らかではないようで仮に日和田楯と呼んでいるそうです。
稲荷さまの裏山に登ると人がならしたと思われる平坦な所や空堀と思われるような地形があります。
『山形県中世城郭遺構調査報告書 第2集』,山形県教育委員会,平成8年3月
などに日和田楯の調査報告が載っています。
この資料よると、楯には三重の堀がめぐらされており、楯越稲荷も楯の一区画に建立されているそうです。
楯の主は日和田五郎と伝わっていま す。
日和田楯は、正月元日に谷地城主の白鳥十郎に攻撃され降伏したそうです。
日和田五郎の家老と伝わる高橋家では、 この出来事を受けて、
現在でも正月元日には餅をつかないそうです。日和田五郎の墓と伝わる五輪塔も国道付近の墓地の中に残っています。

日和田五郎の墓と伝わる五輪塔