幸之神神社

社殿

説明看板
幸之神神社(さいのかみじんじゃ)は西村山郡河北町の弥勒寺地区にある神社です。山
沿いにある弥勒寺公園のすぐ近くに社殿が鎮座しています。祭神は猿田彦之神(さるたひこのかみ)と天鈿命(あまのうずめ)の二柱で縁結びの神社と
して人々から信仰されてきました。
谷地城主の白鳥十郎長久や白鳥氏が谷地に入部する前に谷地を治めていた中条氏からの崇敬を受け、代々城主の守護神だったといわれています。
かつて幸之神神社は中条氏の居住地だった堀口地区にあった神社でした。元禄11年(1698年)に洪水があり社殿のあった堀口地区は壊滅的な被害 がでたそうです。堀口は最上川の近くにあった地区ですので最上川の洪水だったのでしょうか。
その後、前小路村、現在の河北町交流館遊蔵(ゆっくら)のあたりに遷り前小路村の鎮守として村民に親しまれていました。
しかし慶応2年(1866年)の谷地の大火で社殿類焼し、ご本尊は菊田大膳さんが保存していました。菊田家は中条氏の流れをくむ一族で代々神職を 務めていたそうです。
幸之神神社は昭和46年(1971年)に都市計画が実施されるにおよび現在のがある弥勒寺地区に遷されました。
現在の社殿からは谷地の町並みを見下ろすことができます。
案内看板の
"gods of Happiness"
という英訳も、ご利益を如実に表しているような気がします。
谷地城主の白鳥十郎長久や白鳥氏が谷地に入部する前に谷地を治めていた中条氏からの崇敬を受け、代々城主の守護神だったといわれています。
かつて幸之神神社は中条氏の居住地だった堀口地区にあった神社でした。元禄11年(1698年)に洪水があり社殿のあった堀口地区は壊滅的な被害 がでたそうです。堀口は最上川の近くにあった地区ですので最上川の洪水だったのでしょうか。
その後、前小路村、現在の河北町交流館遊蔵(ゆっくら)のあたりに遷り前小路村の鎮守として村民に親しまれていました。
しかし慶応2年(1866年)の谷地の大火で社殿類焼し、ご本尊は菊田大膳さんが保存していました。菊田家は中条氏の流れをくむ一族で代々神職を 務めていたそうです。
幸之神神社は昭和46年(1971年)に都市計画が実施されるにおよび現在のがある弥勒寺地区に遷されました。
現在の社殿からは谷地の町並みを見下ろすことができます。
案内看板の
"gods of Happiness"
という英訳も、ご利益を如実に表しているような気がします。